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歴史系ニュース台帳

歴史系ニュース台帳

2008年1月〜同年12月 登録順
【注】まず、地区、★話題、以下、@掲載新聞などA掲載日B内容CコメンテーターDコメンテーター肩書Eコメント要旨

□甲信越★鉛使った技術で金大量精錬 武田信玄ゆかりの地で確認@山梨日日新聞A08年01月11日B戦国武将、武田信玄の資金源に1つとされる黒川金山(山梨県甲州市)と湯之奥金山(同県身延町)の遺跡で、鉛を使った技術で金を大量に精錬した形跡が見つかったと考古学者らでつくる「甲斐金山遺跡研究会」が10日、発表した。戦国時代の金山で鉛を使った精錬が確認されたのは初めてという。武田家は「金山衆」と呼ばれる技術者集団に鉱山を開発させ、軍資金に充てたり、金貨「甲州金」をつくったとされており、天下をうかがった財力を支えた技術が明らかになった形だ。C萩原三雄先生D帝京大山梨文化財研究所所長E鉛を使うことによって粒上の金を大量に早く採取できる。金貨の流通促進に役立ったのではないか
□九州★緑色の装身具は7割が雲母 縄文人好み、九州に広まる@熊本日日新聞A08年01月12日B縄文時代後期から晩期の九州の遺跡で出土した緑色の勾玉や菅玉などの石製装身具のうち約7割は、クロムを含んで緑色に見える白雲母岩で作られていたことが、熊本大埋蔵文化財調査室の大坪志子助教(考古学)らの調査で分かった。C大坪志子先生D熊本大助教E九州の縄文人が雲母の鮮やかな緑色に美しさや呪術的な魅力を感じ、九州中に広まったのではないか
□九州★埴輪の焼成窯発見 佐賀県内で初@佐賀新聞A08年01月25日B唐津市浜玉町の仁田古墳群で、古墳時代中期(5世紀)に埴輪を焼いた「埴輪窯」が県内で初めて見つかった。山の斜面をトンネル状に堀りこんだ登り窯で、九州で初めて埴輪窯の天井の形が判明。県内の各種の窯跡では最も古い。内部に大量の埴輪の破片が残っていた点が特長で、発掘調査を進める県教委は「九州で見つかった埴輪窯の構造や、当時の焼成作業の様子を考える上で貴重な資料」としている。C佐田茂先生D佐賀大教授(考古学)E当時の窯の形をよく残し、埴輪の製作展開を考える上で重要な発見。登り窯は当時の先端技術で、唐津地方の有力者が積極的に新しい文化を導入していたことがうかがえる
□甲信越★鉛使った技術で金大量精錬 武田信玄ゆかりの地で確認@山梨日日新聞A08年01月11日B戦国武将、武田信玄の資金源に1つとされる黒川金山(山梨県甲州市)と湯之奥金山(同県身延町)の遺跡で、鉛を使った技術で金を大量に精錬した形跡が見つかったと考古学者らでつくる「甲斐金山遺跡研究会」が10日、発表した。戦国時代の金山で鉛を使った精錬が確認されたのは初めてという。武田家は「金山衆」と呼ばれる技術者集団に鉱山を開発させ、軍資金に充てたり、金貨「甲州金」をつくったとされており、天下をうかがった財力を支えた技術が明らかになった形だ。C萩原三雄D帝京大山梨文化財研究所所長E鉛を使うことによって粒上の金を大量に早く採取できる。金貨の流通促進に役立ったのではないか
□関西★銀閣寺の境内、創建時の石垣など発見@読売新聞A08年01月19日B京都市左京区の銀閣寺(慈照寺)の境内で、室町時代後期に第8代将軍・足利義政が創建した当時の石垣や、石組みの溝、盛土した堤の遺構が見つかり、同寺と同市埋蔵文化財研究所が18日、発表した。石垣で築かれた高台には、将軍職を辞した義政が持仏堂として建立し、暮らしていた「西指庵(さいしあん)」があったとみられ、同研究所は「創建時の姿を知る貴重な発見」としている。C鈴木久男D京都産業大・教授E高台には眺望の良い建物があったのだろう。義政が立地を計算し、造営したことがうかがえる
□九州★埴輪の焼成窯発見 佐賀県内で初@佐賀新聞A08年01月25日B唐津市浜玉町の仁田古墳群で、古墳時代中期(5世紀)に埴輪を焼いた「埴輪窯」が県内で初めて見つかった。山の斜面をトンネル状に堀りこんだ登り窯で、九州で初めて埴輪窯の天井の形が判明。県内の各種の窯跡では最も古い。内部に大量の埴輪の破片が残っていた点が特長で、発掘調査を進める県教委は「九州で見つかった埴輪窯の構造や、当時の焼成作業の様子を考える上で貴重な資料」としている。C佐田茂先生D佐賀大教授(考古学)E当時の窯の形をよく残し、埴輪の製作展開を考える上で重要な発見。登り窯は当時の先端技術で、唐津地方の有力者が積極的に新しい文化を導入していたことがうかがえる
□九州★井戸からお宝 中国産陶磁器、完全形で出土 熊本・二本木遺跡群 @西日本新聞・夕刊A07年12月19日B 熊本市教委は19日、同市春日の日本木遺跡群にある12世紀後半(平安時代末期)の井戸から、中国産陶磁器が完全な形で大量に出土したと発表した。国内では福岡市博多区の博多遺跡群で、廃棄された破片など数百点が出土した例などはあるが、完全な形での大量出土は珍しいという。JR熊本駅周辺の区画整理事業に伴い2005年から発掘調査を実施。今年11月末、地下50センチで発見された井戸(直径3・5メートル)の深さ1メートル部分から青磁、白磁の碗9点と皿34点の計43点が見つかった。碗は直径13ー15・5センチ、皿は同9・5センチ。すべてが伏せた状態で、種類ごとに重ねられていた。C高倉洋彰D西南学院大学教授(考古学)E木棺などに入れられた陶磁器が、墓から完全な形で出土することはあっても、井戸で見つかるのは非常に珍しい
□首都圏★果樹園から古代遺跡 川崎市宮前区@産経新聞A08年02月13日B弥生時代後期から奈良時代初期の遺跡が、川崎市宮前区野川の果樹園で発掘された。同市内では最大級という竪穴式住居跡3ヵ所や土器約数千点(破片含む)が見つかり、大集落の一部が明らかになった。市教育委員会によると、これほど大規模な住居跡が複数見つかるのは珍しいという。「野川神明社南遺跡」と名付けられた。面積約1、500平方メートル。2007年11月に有料老人ホーム建設計画が持ち上がった際に市が試掘し、発見した。C小柳一郎さんDJAセレサ顧問E耕すとやじりや石おのがよく出てきた。遺跡が眠っていたとは思わなかった。
□関西★火を使い地鎮祭か 平安京の祭祀跡@河北新報A08年02月21日B花園大学校舎の建設予定地(京都市中京区)にある平安京遺跡で、9世紀前半中ごろの火を使った祭祀跡が見つかり、花園大が21日、発表した。地鎮祭のような宗教行為をしたとみられる。大学によると、当時の遺構で、火を使った祭祀跡が発見されたのは初めてという。C高橋克寿先生D花園大准教授(考古学)E当時の陰陽道などでは火を使わないのが主流とされていた。新たな宗教理念が存在した可能性を示す貴重な発見だ。
□首都圏★古代史探る元気な70代、大学院レベル@朝日新聞A08年02月18日B横浜市栄区の「古代史セミナー」が10周年を迎えた。テーマの設定から会場の看板作りまで、自分たちでまかなう市民の自主講座で、運営委員の平均年齢は70半ば。高齢化社会の元気なお年寄りの活動ともいえるが、最大の特徴はそのレベルの高さだ。C菊池徹夫先生D早稲田大学教授(考古学)E大学院の内容でしょう。テーマは、「北と南の辺境文化と日本国」青森と奄美で見つかった遺跡を手掛かりに古代日本の境界を考える狙い。「南北を対比して考える新鮮な発想。学会でもなかなか実現できない」。専門用語が飛び交う難解なシンポを、300人近い市民が見守る熱気に圧倒された。
□北関東★栃木・矢板の遺跡群で黒曜石の採掘坑見つかる@読売新聞A08年02月24日B後期旧石器時代の1万8000〜1万9000年前に、黒曜石を加工した跡とされる栃木県矢板市の高原山系剣ヶ峰(1540メートル)周辺の「高原山黒曜石原産地遺跡群(剣ヶ峰地区)」で、黒曜石を掘った採掘坑(深さ約1メートル20)の跡が見つかったと、矢板市教委が22日、発表した。これまで旧石器時代には、拾い集めるなど眼で見える範囲の石を利用したとされていたが、市教委によると石器に使う材料を探して土を掘った跡が見つかったのは初めて。 C小野昭先生(考古学)D首都大学東京・教授E当時の人のイメージを塗り替える発見
□山陽★総社・法蓮広堂山古墳群 小古墳12基 新たに確認 造山古墳至近に望む 吉備政権の階層知る手掛かり@山陽新聞A08年02月27日B総社市教委が発掘調査している同市下林、法蓮広堂山(ほうれんひろどうやま)古墳群で26日までに、丘陵上にひしめくように築かれた小古墳12基(5〜7世紀)が確認された。古代吉備最大の前方後円墳・造山(つくりやま)古墳(岡山市新庄下、5世紀前半)などを至近に望む地にあり、吉備政権をおひざ元で支えた末端有力者層の姿に迫る手掛かりと注目されている。C新納(にいろ)泉 先生D岡山大教授(考古学)E三須丘陵の古墳群が吉備政権内、特に末端に至る社会構造を知る上で今後、非常に重要な意味を持ってくるのは間違いない
□山陽★飾り瓦の鴟尾出土 瀬戸内・牛窓の寒風古窯群@山陽新聞A08年02月29日B瀬戸内市教委が史跡整備に向けて発掘調査している国指定史跡・寒風古窯跡群(同市牛窓町長浜)で27日までに、寺院などの屋根に取り付ける飾り瓦の鴟尾(しび)の破片が7世紀後半から8世紀初頭の窯跡内部から出土した。鴟尾が窯本体に伴って見つかったのは初めてで、生産時期特定につながるとともに、あらためて同窯跡の格式の高さを示す手がかりになりそうだ。C河本清先生D元くらしき作陽大学教授・同古窯群整備委員長E鴟尾の生産は半官窯的な性格を持っていたことを示す。焼いた窯が分かったことで生産時期の特定にもつながり窯跡群の変遷や役割を知る上で画期的な成果だ
□甲信越★「九州型」「大阪湾型」銅戈、同時に出土・・長野柳沢遺跡 @読売新聞A08年03月01日B長野県中野市の柳沢遺跡の発掘調査を進めてきた県埋蔵文化センターは29日、同遺跡から、形状の異なる2種類の「銅戈」が出土したと発表した。  銅戈は弥生時代からの祭器で、「九州型」と「大阪湾型」が知られているが、同時に見つかったのは国内で初めてという。C上田典男 先生D長野県埋蔵文化センター調査課長E九州や畿内の共同体から長野への人の移動を示す資料だ。銅戈の分布の研究にも大きな影響を与える□関西★奈良・纏向遺跡の3古墳、前方後円墳の形状に変遷@読売新聞A08年03月06日B初期大和王権が成立した奈良県桜井市の纏向遺跡にある勝山(3世紀初め)、矢塚(同中ごろ)、東田大塚(同後半)の3つの古墳について、同県立橿原考古学研究所と同市教委は5日、規模や形状を発表した。前方後円墳の出現期にあたる3古墳は、いずれも前方部が後円部に比較して小さく、「卑弥呼の墓」説のある同遺跡の箸墓古墳(3世紀後半、全長280メートル)などの大型前方後円墳に発展していく過程を知る手がかりになりそうだ。C寺沢薫先生D橿原考古学研究所 調査研究部長E土器や古墳の形をさらに調べ、時代や規模を絞り込むことで、前方後円墳の変遷が見えてくるだろう
□九州★福岡県に騎馬軍団?/日本書紀の豪族と関連か @佐賀新聞A08年03月07日B福岡県大刀洗町の本郷野開遺跡で、5世紀後半から末ごろ馬を埋葬した2つの土壙墓と、鉄製の馬具や馬の歯が見つかった。町教育委員会は「朝鮮半島と関係の深い飼育集団がいたと推測できる。騎馬軍団だった可能性もある」としている。C桃崎祐輔先生D福岡大准教授E馬飼臣の支配下の集団かもしれない。朝鮮半島の友好国、百済を軍事支援するため、この地域に馬を集めて調教したのではないか
□関西★島の山古墳、祭祀場所を施工ミス?奈良川西町@産経新聞A08年03月07日B天皇に次ぐ大王クラスの墓とされる前方後円墳、奈良県川西町の島の山古墳(5世紀初め、全長200メートル)で、前方部と後円部の接続部に設けられ、神聖な祭祀場所だった突出部分「造りだし」が、築造時にいったん大きく削った後、すぐ盛土をして補修されていたことが分かった。町教委と橿原考古学研究所が6日、発表した。施工ミスとも見られ、調査担当者は「当時としては致命的なミスで、工事責任者は処分もの、だったのでは」と推測している。C見須俊介先生D川西町教育委員会主任E盛土の状況はいかにも急ごしらえで、工事担当者間の伝達ミスで地盤をどんどん削り、あわてて近くの土をあつめてつんだのではないか
□関西★一流絵師の阿弥陀如来か 平安末、板に墨書き@信濃毎日新聞A08年03月08日B奈良県橿原市の東坊城遺跡で、平安時代末頃とみられる、阿弥陀如来を墨書きした板(縦9・3センチ、横25・5センチ、厚さ6ミリ)が8日までに見つかった。口元や衣のひだを柔らかなタッチで描写。阿弥陀如来が極楽浄土から迎えに来る際、親指と人差し指で輪を作る「来仰印」などがくっきりと残っている。鮮やかに彩色していた可能性もあり、発掘した橿原市教育委員会が分析を進めている。C梶谷亮治先生D奈良市国立博物館学芸課長(仏教絵画史)E描線がよどみなく、相当うまい。慣れた人の作だろう。小さな厨子に入れてお坊さんが個人で持っていたのではないか
□山陰★「美保神社横山家文書」調査結果を発表 @山陰中央新報A08年03月10日B1993年から15年間にわたって松江市美保関町の美保神社の古文書調査を行ってきた國學院大日本文化研究所などが、膨大な資料を整理した文書目録を完成させ、同町で9日、古文書解読や考古学、民俗学など多角的な調査、研究から分かった成果を関係者に発表した。同研究所と同大研究開発推進機構が、代々宮司を務める横山家所蔵の社殿造営や祭祀など近世を中心にした文書約8500点を調べ、全3冊の文書目録「美保神社横山家文書」にまとめた。C杉山林継先生D国学院大教授Eこれだけの資料が残っているのは全国でもない。地域の文化として大事にしてほしい。
□九州★犬と猿の土製品が出土 信仰集めた高僧と関連か@西日本新聞A08年03月10日B福岡県朝倉市の中世黒川院関連遺跡群で、犬と猿の形をした小さな土製品が相次いで見つかった。平安時代から修験道が栄えた中世彦山の高僧にかかわりの深い遺物とみられる。C市教委D/E犬は多産の象徴とされており、座主の関係者が安産などを祈って埋めたのではないか
□関西★平城京の「外京」解明へ 交差点が初出土@日本経済新聞A08年03月07日B平城京跡(奈良市)の東側に張り出した「外京」と呼ばれる区域で、交差点跡が初めて見つかり、元興寺文化財研究所(同市)が6日、発表した。外京は未解明の部分が多く、成立の時期や過程を研究する上で貴重な資料となりそうだ。C佐藤亜聖先生D元興寺文化財研究所研究員E京内の道路より道幅が狭いことなどから、当初の都市計画を基に外京の道路整備はやや遅れて行われたのだろう□東海★篤胤、美には疎かった?@中日新聞A08年02月10日B尊皇攘夷の支柱で、明治維新に大きな影響を与えた平田国学の祖、平田篤胤の自筆の書状が、岐阜県中津川市の旧家で見つかった。篤胤自筆の草稿などは出身地の秋田県などに残っているが、夢の中で本居宣長と会い、弟子となった逸話を絵にした「夢中対面図」について自省を交えて書かれ、興味深い内容だ。C宮地正人先生D東大名誉教授(明治維新史研究)E平田神社(東京都渋谷区代々木)にある「夢中対面図」は知られているが、絵が書かれたいきさつが分かったのは、この手紙だけで大事な資料だ。
□東海★尾張要衝の桑下城無力化 信長、家康友好の証しか@読売新聞A08年02月08日B戦国期、尾張と三河の国境近くに築かれた桑下城(愛知県瀬戸市)の発掘調査が行われている。織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦い(1560年)の後、堀を埋めていたらしいことが判明。信長が同盟を結んだ徳川家康との友好の証しとして廃城にしたとも考えられ、天下取りをもくろむ信長の戦略を解明する上で、重要な成果として注目されている。C千田嘉博先生D奈良大准教授(中世考古学)E信長にとって東の守りである重要な拠点を無力化することは、信長が家康との友好関係に本気で取り組んだことを示すのではないか
□関西★鎌倉時代後期の「源氏物語」写本@産経新聞A08年03月11日B京都市下京区の元料亭「角屋」に保存されている源氏物語の一帖が、鎌倉時代後期の写本とみられることが分かり、財団法人角屋保存会が10日、発表した。写本は全54帖の1つ「末摘花」で、冊子状の65n(縦横約16a)。珍しい「別本」に位置付けられ、女性が光源氏に贈る和歌を書きつける場面などに定家本より詳しい描写があった。C加藤洋介先生D大阪大准教授(平安文学)E鎌倉時代に源氏物語がどのように読まれていたかを知る貴重な資料。紫式部による原典の記述を残したか、誰かが加筆した可能性がある。
□東海★「斎宮女御集」の写本原本発見@伊勢新聞A08年02月24日B藤原道長など平安時代の個人歌集を鎌倉時代に写本したもので、歌人藤原定家の子孫冷泉家(京都市)に伝わっている「私歌集」(重要文家財)39冊のうち、行方が分からなかった「資経本斎宮女御集」が23日までに、県立斎宮歴史博物館(多気郡明和町)などの調査で発見された。C県立斎宮博物館D/E鎌倉時代の写本が市場に出ることが奇跡的。歴史学的にも国文学的にも重要な資料。
□九州★「島津家発祥の地は鹿児島・出水市…」都城市がNHKに゙異議゜@熊本日日新聞A08年02月16日BNHKの大河ドラマ「篤姫」で「島津家発祥の地は鹿児島県出水市」と紹介があったことに、宮崎県都城市が異議を申し立てている。長峯誠市長は「古くから島津発祥の地として、まちづくりに取り組んできた」と主張。「都城での島津に関する歴史も番組内で紹介してほしい」と15日、NHK宮崎放送局に要望書を提出した。CNHK広報部DE『島津家の南九州支配が始まったのが出水』という趣旨だった。要望への対応は、今後検討したい。
□関西★富本銭に新タイプー飛鳥池製と字体に違い【藤原宮跡】@奈良新聞A08年03月18日B橿原市高殿町の藤原宮跡で見つかった7世紀のつぼの中にあった国内最古の貨幣・富本銭(ふほんせん)が、飛鳥時代の工房跡・飛鳥池遺跡(明日香村)で造られたものと字体が違う新しいタイプだったことが分かり、奈良文化財研究所が16日、発表した。これまで富本銭はすべて同遺跡で鋳造されたと考えられていたが、他の場所でも造られていた可能性が高くなった。日本貨幣史を考える上で、貴重な資料となりそうだ。C松村恵司先生D奈良文化財研究所発掘調査部考古第一研究室長E新しいタイプは遷都の9ヶ月前に設置された鋳銭司(じゅせんし)で造られた可能性がある。遷都に伴って飛鳥池から工房が藤原京内に移されたのではないか
□山陽★“超ミニ”1メートル石室 総社・法蓮広堂山古墳郡で見つかる@山陽新聞A08年03月19日Bこれでも、れっきとした古墳です。総社市教委が発掘調査中の同市下林、方連広堂山(ほうれんひろどうやま)古墳群で18日までに、全長が約1メートルしかない超小の横穴式石室を持つ古墳が見つかった。時代も、古墳の築造が終わる奈良時代直前(8世紀初め)。伝統の埋葬法に最後までこだわった古代吉備最小級の石室が、研究者を驚かせている。C武田恭彰先生D総社市教育委員会主査E近隣ではもう、火葬墓が現れている時期なのに、かたくなに先祖伝来のスタイルを守ったとしか思えない
□関西★蟹満寺ゆかりの氏族葬る? 木津川・車谷古墳群 円墳や方墳確認@京都新聞A08年03月20日B京都府木津川市教委は19日、同市山城町の蟹満寺境内に近接する車谷古墳で、5世紀末頃とみられる円墳や方墳などを新たに確認したと発表した。出土古墳は同市古墳群成立当初のものと推定され、同市教委は「のちに蟹満寺を造営した氏族を考えるうえで重要な発見」としている。C辰巳和弘先生D同志社大歴史資料館教授(考古学)E今回見つかった円墳は南山城の中級豪族の首長が葬られたものだろう。その末裔が200年ほど後に蟹満寺を築いた可能性が高い。
□九州★銅矛のルーツに一石 春日市の永田さん 40年前発見 弥生中期の貴重な鋳型@西日本新聞A08年03月26日B福岡県春日市の教育委員会は25日、市民から寄贈された資料の中に、弥生時代中期後半の滑石製鋳型の破片が含まれていたと発表いた。破片は市が約30年前に市内の大谷遺跡から発掘した銅矛の鋳型の破片と一致。鋳型は同県飯塚市の立岩堀田遺跡から出土した銅矛(国指定重要文化財の一部)を製造したとされてきたが、今回の照合作業でその定説に大きな疑いが浮上、起源見直しを迫られることになった。C春日市教委DEこれまでの学説に異議を唱えざるをえない
□関西★蘇我蝦夷・入鹿父子の「兵庫」跡か、明日香村で出土@読売新聞A08年03月28日B飛鳥時代の大豪族、曽我氏の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘東麓遺跡で、7世紀前半の倉庫とみられる建物跡が出土したと、奈良文化財研究所が27日、発表した。日本書紀にある蘇我氏の「兵庫」(つわものぐら-武器庫)の可能性があり、蘇我氏が滅亡した大化改新(645年)が起きた7世紀中ごろに破壊されたとみられる。C和田萃 先生D京都教育大名誉教授(古代史)E大化改新後、都は難波宮に移った。その後に、飛鳥に戻った斉明天皇が再造成したのではないか。飛鳥の防衛ラインとして利用したのかもしれない
□関西★石田三成の重臣・島左近、領国経営に深く関与・・・文書発見@読売新聞A08年04月10日B戦国武将の石田三成が、重臣・島左近らに年貢収納を任せるとの内容の文書が見つかり、滋賀県長浜市の長浜城歴史博物館が9日、発表した。  文書は縦14センチ、横44センチ。三成が佐和山城(同県彦根市)の城主だった16世紀末に書かれたらしく、県内に住む代官の子孫が所有していた。代官に対し、城を空けることの多い三成に代わって左近ら3人の指示に従うよう記し、花押と日付があった。C小和田哲男先生D静岡大教授(戦国氏)E左近の生涯は謎が多いが、領国経営に携わる姿が浮かび上がる。三成の研究にとって画期的な発見」
□東海★中国楽器描いた幻の壁画発見 名古屋城二之丸御殿@中日新聞A08年04月11日B名古屋城二之丸御殿に飾られていた障壁画4点が名古屋市東区の徳川美術館で見つかり、10日報道陣に公開された。2点は中国古代の楽器が数種類ずつ描かれ、国内では例がない図案という。C吉川美穂 先生D徳川美術館学芸員E中国に傾倒していた初代尾張藩主、徳川義直の影響では
□関西★京大に鎌倉時代の貴族邸跡 西園寺公経の別邸か@信濃毎日新聞A08年04月10日B京都市左京区の京都大キャンパスで、鎌倉時代(13世紀)ごろの貴族の邸宅跡とみられる石畳や雨水を流す溝が見つかり、京都文化財総合研究センターが10日、発表した。付近には、鎌倉時代の有力貴族西園寺公経(1171-1244年)の別邸があったと伝えられており、センターは「別邸の一部かもしれない」としている。C伊藤淳史先生D京都文化財総合センター助教E鎌倉時代の京大周辺の様子は不明な点が多いが、高い水準の建物があったことが分かる
□海外★飛鳥寺のモデル、韓国の王興寺か 塔の構造、出土品似る@朝日新聞A08年04月18日B日本最古の寺院とされる飛鳥寺(奈良県明日香村)のモデルが韓国の王興寺ではないかとの見方が強まってきた。王興寺は6〜7世紀に百済の都だった扶余(プヨ)にあった寺で、朝鮮の歴史書では600年以降の創建とされていた。ところが、国立扶余文化財研究所の調査で昨年10月、金・銀・青銅の舎利容器が出土、そこに刻まれた文字から百済王の発願で577年2月に創建されたことが判明した。C大橋一章先生D早稲田大学教授(仏教美術史)E先行する王興寺を追いかけるように飛鳥寺の計画が進められたのだろう。百済は仏像やお経を日本に贈ったが仏教は広まらず、寺を造らなくてはとの思いだったのではないか
□四国★四国の青銅器を九州で鋳造/九大調査、巴形の鋳型一致@四国新聞A08年04月17日B香川県さぬき市の森広遺跡で明治時代に出土した巴形銅器3点が、福岡県春日市の九州大筑紫地区遺跡群で1998年に出土した弥生時代後期(2世紀)の石製の鋳型で鋳造されていたことが分かり、九州大埋蔵文化財調査室が17日、発表した。C田尻義了先生D九州大埋蔵文化財調査室学術研究員E弥生時代の政治状況や経済交流が垣間見える貴重な発見だ
□海外★紀元前22世紀、世界最古の鋼トルコの遺跡から出土@朝日新聞A08年04月21日Bトルコのカマン・カレホユック遺跡で出土した鉄片が、紀元前22世紀ごろの鋼であることが分かった。鉄製品としては世界で最古。「鉄の生産技術が、現在のトルコにあたるアナトリア半島で独自に生まれた可能性が高まった」と関係者は話している。 C大村幸弘先生Dアナトリア考古学研究所長E鉄の使用開始をめぐる具体的な形がようやく見えてきた。紀元前22世紀という年代は、アッシリア商人がアナトリア半島に植民地を築く前で、彼等の影響は考えにくい。アナトリア半島で独自に鉄製産が始まった可能性を考えるべきではないか
□関西★突起付いた木棺の底板 奈良・下田東2号墳@山陽新聞A08年04月21日B奈良県香芝市の下田東2号墳で、周濠の底から古墳時代中期(5世紀後半)とみられる突起が付いた木棺の底板が見つかり、市教育委員会が22日、発表した。木棺は腐りやすく、突起が確認される例は非常に珍しいという。C香芝市教育委員会DE本来は突起の付いたふた板があり、縄で縛って棺がバラバラにならないよう固定したとみられる。なぜ底板だけがあるのか分からない
□北海道★国内初の「模様編み」恵庭で出土 縄文後期の布 3200年前 衣服も高い文化@北海道新聞A08年04月25日B恵庭市の柏木川4遺跡で2006年9月に出土した縄文時代後期の布について、道埋蔵文化財センター(江別)は24日、解析の結果、数種類の「模様編み」が施された編み布だったと発表した。解析を進めている国立民族学博物館(大阪)の吉本忍教授によると、縄文時代の模様編みが確認されたのは国内初。C吉本忍先生D国立民族学博物館館長E世界にも類のない資料で、当時の人々が高い技術を持ち、デザイン性の高い衣服を身に纏っていた可能性がある
□北陸★最古級の草仮名墨書土器が出土、和歌練習か 冨山・射水@朝日新聞A08年04月25日B富山県射水市一条の「赤田1(ローマ数字の1)遺跡」の溝から、9世紀後半(平安時代前期)の酒盃とみられる最古級の草仮名(そうがな)墨書土器が出土したと、同市教委が23日発表した。草仮名は酒盃の外側に墨で書かれ、和歌を詠む際に筆慣らしに書いたらしい。草仮名の成立期に相当する最古級の資料で、溝の遺構も貴族が歌を詠んで楽しんだ「曲水の宴」の場だった可能性が高いという。C鈴木景二先生D冨山大教授(日本古代史)E今回発見の草仮名は9世紀後半のもので、知られている草仮名の中でも成立期のもの。仮名を続けて書く『連綿』も認められ、仮名表記の歴史を考えるうえで貴重。古代の地方で『曲水の宴』を国司ら貴族らが催うしたことを物語る遺構として極めて貴重。草仮名墨書土器は、曲水の宴での習作の現物資料として最古かつ唯一の資料の可能性が高い
□関西★弥生の名残、古墳期にも「シカと船」線刻の土器・・・大阪・小阪合遺跡@読売新聞A08年04月25日B大阪府八尾市の小阪合遺跡で、シカと舟が描かれた古墳時代初め(3世紀前半)の土器が初めて出土し、24日、市文化財調査研究会が発表した。こうした絵画を描いた土器は弥生時代中期〜後期に流行、農耕祭祀に使われたとされていたが、同じ祭祀が古墳時代まで続いていたことを示す資料となる。C辰巳和弘先生D同志社大教授(古代学)Eシカと船は弥生絵画の伝統的な題材。豊穣を願う弥生的な祭祀の最後の様子がうかがわれる
□九州★国内最古の青銅製鞘尻か 福岡・元岡遺跡群から出土@山陽新聞A08年04月24日B魏志倭人伝に登場する伊都国の一部と考えられている福岡市西区の元岡遺跡群で、弥生時代中期後半ー後期(紀元前後2世紀ごろ)の青銅製鞘尻金具が出土したことが、24日までに分かった。刀の鞘の末端につける装飾金具で、福岡市教育委員会は「弥生時代の遺跡からの出土例はなく、国内最古例の可能性が高い」としている。C市教育埋蔵文化財第2課DE当時の中国では、刀子を木簡や竹簡に記した文字を削り取る道具としても用いており、同時代におけるこの地域の文化的先進性を物語る資料だ
□関西★平城宮の米蔵か 正倉院に匹敵 大型建物跡2棟@毎日新聞A08年03月29日B奈良市文化財研究所は28日、奈良市の平城宮跡で、高床式倉庫とみられる2棟の大型礎石建物跡を確認したと発表した。東西18メートル、南北6メートル以上の同一規格。柱間は東西3・6メートル、南北3メートルもあり、正倉院(奈良市)に匹敵する規模だった。C今井晃樹先生D奈良文化財研究所 研究員E瓦葺で礎石建物の倉庫は平城宮でも珍しく、国家中枢の米蔵にふさわしい
□東北★マタギ文化の源流沈む@朝日新聞A08年03月01日B東北の山間の谷で、旧石器時代から現代まで1万年余りの間、断続的に生活を営んだ村々の遺跡がある。秋田県北秋田市にある森吉山ダム遺跡群。52箇所から遮光器土偶など縄文時代の遺物を中心に、江戸時代のものまで完形にすると約4千点分が出土し、マタギ文化の源流ともいえる独自の儀礼や暮らしぶりが浮かび上がった。しかし、遺跡はまもなく、ダムの底に沈む予定だ。C藤沼邦彦先生D弘前大教授(考古学)E優れた土器の文様や漆の文化があり、縄文のムラの構造をよく残しているという意味で、東北有数の遺跡群と言ってもいいのではないか。博物館を地元にぜひ造ってほしい
□北陸★刀装具の鋳型大量出土@中日新聞A08年03月14日B福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館は13日、福井市城戸ノ内町の同遺跡の中心部から、金工師(きんこうし)の工房跡と刀装具の鋳型37点が出土したと発表した。戦国大名・朝倉義景直属の金工師の工房とみられる。C久保智康 先生D京都国立博物館工芸室長E室町後期の刀装具作りの実態をつかむ重要な足掛かりになる。他の有力な戦国武将にも、お抱えの金工師がいたと考えられる。
□関西★「和韓混交」様式の銅鐘 国内最古滋賀で発見 @中日新聞A08年03月01日B滋賀県守山市幸津川町の下新川神社の蔵から見つかった銅鐘が、日本と朝鮮半島の様式を併せ持つ国内最古の「和韓混交鐘」(俗称)であることが分かった。市教育委員会が29日、発表した。日本と朝鮮半島間の仏教の関係を知る貴重な手掛かりとなりそうだ。C河野貞先生D奈良国立博物館名誉館長E和韓混交鐘自体の歴史を考える上でも貴重。鐘の出来上がりの具合からみると、仏寺の依頼を受けて、複数制作された可能性もある
□北海道★道の駅に国宝の土偶展示へ 函館、縄文の発信拠点に@北海道新聞A08年05月01日B函館市は1日までに、縄文人の信仰をうかがわせる貴種な土偶造形、国宝「中空土偶」(高さ約42センチ)の展示施設を「道の駅」の一部として建設することを決めた。「道の駅」は情報発信機能を併せ持つ、道路利用者のための休憩施設。国土交通省によると全国に870あるが、施設内で国宝が展示されるのは初めて。C市教育委員会DE豊かな縄文の心に触れてほしい
□関西★「銅鐸リサイクル」の跡、国内2例目 奈良で破片や鋳型@朝日新聞A08年05月01日B奈良県桜井の大福遺跡で、弥生時代松から古墳時代初め(2世紀後半〜3世紀初め)の土坑から、銅鐸の破片や、銅鐸とは別の鋳型などが見つかった。同市教委が30日発表した。銅鐸を溶かして別の青銅器を製造した「リサイクル」の工程跡が、近くにあったとみられる。専門家は「この時代に弥生の神々を祭った銅鐸を壊すという、大きな思想の転換があったことが裏付けられた」としている。C丹羽恵二先生D市教委文化財課技師Eいずれも纏向の出現期と重なり、当時の先進的な地域の誕生に何らかの影響を受けていた可能性が高いのでは
□首都圏★くし、鏡など10点出土 芝居小屋付近、遊興施設跡か@産経新聞A08年05月12日B江戸歌舞伎発祥の地、中央区の遺跡からかんざしやくしなど女性の道具類が多数見つかった。町人地の発掘はこれまでもあったが、1ヵ所からまとまって出土したのは珍しい。専門家は「芝居小屋付近の発掘は初めて。女性がいて飲食できる遊興施設があった証拠では」とみる。C仲光克顕先生D中央区教育委員会主任文化財調査指導員E10点ほどが1度に見つかるということは、女性が働く場所があった可能性がある。
□東海★重文級「源氏物語絵巻」発見「桐壺」3巻@朝日新聞A08年05月22日B17世紀に制作された「源氏物語絵巻」の巻頭部分が見つかり、名古屋市東区の同市蓬左文庫で21日に公開された。光源氏の生誕から始まる第1帖「桐壺」の3巻で、一連の作と考えられている第6帖「末摘花(上巻)」(大津市・石山寺蔵)は、重要文化財に指定されている。C四辻秀紀先生D徳川美術館副館長Eほかの源氏物語絵巻は名場面集がほとんどだが、この絵巻は物語全文を省略なしで記し、多数の絵で構成している。国家的プロジェクトだったのだろう。巻頭が見つかったことで今後研究が進むはずだ。
□首都圏★芭蕉の「幻の書簡」、75年ぶりに見つかる@読売新聞A08年05月17日B江戸時代の俳人・松尾芭蕉(1644〜94年)が「奥の細道」の旅に出た2年後、「去来抄」の作者で知られる弟子の向井去来(1651〜1704)にあてたとされる手紙が、東京都内で75年ぶりにに見つかった。C雲英末雄先生D早稲田大学文学学術院教授E芭蕉が実際に江戸に向けて出発したのは9月下旬だが、もっと前から江戸に帰りたいと思っていたことがわかる。それだけ江戸に愛着があったのだろう。芭蕉の書簡は個人所有のものが多く、散逸してしまうケースが少なくないだけに発見の意義は大きい。
□関西★キトラ古墳の木棺表面は朱塗り、被葬者は皇太子級の扱いか@読売新聞A08年05月15日B奈良県明日香村のキトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)で、被葬者を納めた木棺の表面が、朱色に塗られていた可能性が高いことが、奈良文化財研究所などの調査でわかった。飛鳥時代、外側が朱塗りの棺ひつぎは、天武・持統両天皇の合同陵(同村)以外に例がなく、被葬された人物の格の高さをうかがわせる。C猪熊兼勝先生D京都橘大名誉教授E被葬者が天武天皇を助けた高市皇子(654〜696)の可能性が高いとしたうえで、天皇と区別するため、夾紵棺よりもランクが低い木棺を使ったが、朱を塗ることで、皇太子に匹敵する扱いをしたのだろう。
□山陰★松江・鹿島町佐陀宮内の佐太前遺跡で、大溝確認@山陰中央新報A08年05月22日B松江市鹿島町佐陀宮内の佐太前遺跡で、弥生時代前期後半(紀元前5世紀ころ)の大溝の遺構が確認され、松江市教委が21日発表した。確認されただけでも長さ64メートルの山陰地方最大級の溝で、島根半島の拠点的集落を囲む環濠の可能性もある。C藤原哲先生D松江市教育文化振興事業団調査員E初期農耕文化の定着を集落単位で確認できる貴重な資料。
□関西★木簡に万葉の歌@産経新聞A08年05月23日B奈良時代に聖武天皇が造営した滋賀県甲賀市信楽町宮町の紫香楽宮(742〜45年)跡から平成9年に出土した木簡の両面に、それぞれ和歌が墨書され、うち1首が最古の歌集「万葉集」の歌だったことが分かり、同市教育委員会が22日、発表した。木簡に記された万葉歌が見つかったのは初めて。C栄原永遠男先生D大阪市立大大学院教授E『阿佐可』はすぐ読めた。瞬間的に万葉集だと直感、ドキッとした。あの古今集のセット関係や、こりゃ、えらいこっちゃと・・・。
□関西★正倉院宝物と同時期、「国宝級」奈良中期の荘園絵図見つかる@読売新聞A08年05月25日B奈良時代中期に奈良・東大寺が所領した荘園の開発状況などを描いた荘園絵図が見つかり、奈良国立博物館(奈良市)の調査で、正倉院宝物として現存する同時期の荘園絵図18点とともに江戸時代までに東大寺に一括保存され、その後外部に流出し所在不明だった絵図であることがわかった。日本で最も古い時期に描かれた地図原本の一つで、正倉院宝物より制作当時の状況をよく保っており、同博物館は「国宝級の発見」と評価している。C杉本一樹先生D宮内庁正倉院事務所長E正倉院宝物の正倉院絵図と異なり、修理の跡がほとんどなく、当初の状態に近いところが大変貴重だ。この価値を損なわないよう保存・展示してほしい。
□関西★高度な技術で螺鈿制作 聖武天皇遺品の螺鈿琵琶@北海道新聞A08年05月29日B聖武天皇の愛用品を納めた正倉院(奈良市)の宝物「螺鈿紫檀五弦琵琶」に装飾用の貝を細工する際、糸のこのような工具を使うなど、高度な技術を駆使していたことが分かり、宮内庁正倉院事務所が28日、発表した。C北村昭斎先生D螺鈿人間国宝E熱帯海域で採れる夜光貝を使い、西方の影響を受けたラクダに乗った人物を描くなど、塔の国際性がうかがわれる
□関西★法隆寺金堂天蓋に創建当時の部材、消失逃れ転用か@読売新聞A08年05月30日B奈良県斑鳩町、法隆寺金堂で、天井に飾られている天蓋(国の有用文化財)に使用されている部材の一部に、聖徳太子(574〜622)が同寺を建立したとされる607年前後に伐採されたヒノキ材が含まれていることが奈良文化財研究所(奈良市)の光谷拓実研究員による年輪年代法の調査でわかった。C松浦正昭先生D冨山大教授(日本美術史)E古い時代の部材は、消失を逃れたものを転用したのではないか
□海外★ストーンヘンジは古代墓地 米紙が英研究者の新説紹介@京都新聞A08年05月31日Bワシントン・ポストは、世界遺産にも登録されている英南西部の巨石遺跡群ストーンヘンジは500年近くにわたり、主に古代人の埋葬地として使われ、この地方を長年支配した一族の遺骨が納められている可能性があると報じた。英ジェフィールド大の研究者の新説として伝えた。CDr.パーカーピアソンDシェフィールド大教授E埋葬地として使われたのは遺跡群がつくられたとみられる紀元前3000年ごろから同年2500年ごろまでで、30〜40世代にわたる支配者一族の遺骨が納められている可能性がある□北海道★斜里・ウトロ遺跡 四角形の「貼床」発掘 5-10世紀住居跡@北海道新聞A08年06月04日B網走管内斜里町は、同町ウトロ市街地で調査を進めているウトロ遺跡のオホーツク文化期(5-10世紀)の住居跡から、ほぼ正方形の「貼床(はりゆか)」を発掘した。これまで知られているオホーツク文化の貼床は「コ」の字形で、専門研究者は「前例がない貴重な遺構」として注目している。C熊木俊朗先生D東大大学院人文社会系研究科准教授Eコの字形でない貼床は見たことがなく、大変珍しい。擦文時代や、擦文とオホーツク文化が融合したトビニタイ文化への移行を示すものかもしれない。
□海外★「世界7帝国の一つ」欧米列強、徳川政権下の日本を認識@朝日新聞A08年06月04日B交易の窓口を長崎などに絞り、諸外国との交わりを極端に制限していた徳川政権下の日本。しかい当時の欧米列強の間では、ロシア、中国、トルコ、神聖ローマ帝国と並ぶ「世界の7帝国」の一つとして認識されていたらしいことが、東北大の平川新教授の研究で明らかになった。C平川新先生D東北大(日本近代史)教授E日本が中国と並ぶ世界の帝国の一つという考え方は、ロシアから帰国した大黒屋光太夫や石巻の若宮丸漂流民などによって伝えられ、19世紀には知識人の間ではかなり広がっていた。漂流民がもたらした異国情報が、当時の人々の日本という国に対する自己認識の形成に大きな影響を与えた可能性もあるのでは。
□東海★伊勢の五輪塔、叡尊の弟子の作か 山形大教授が発見@河北新報A08年06月10日B三重県伊勢市にある仏塔の一種「楠部五輪塔」が、 奈良の西大寺を復興した高僧叡尊(1201〜1290年)の弟子が鎌倉時代に造ったとみられることが松尾剛次山形大教授の調査で分かった。鎌倉時代の律宗の五輪塔では最大級であることも判明。叡尊を祭った可能性もあるという。C松尾剛次先生D山形大教授(日本宗教史)E最高位とされる叡尊が分骨されたと考えられる
□首都圏★13億4400万円で落札の「運慶」公開@産経新聞A08年06月10日B今年3月、ニューヨークで競売にかけられ、宗教団体「真如苑」が1280万ドル(約13億4400万円)で落札した運慶作とみられる「大日如来坐像」が9日、東京・上野公園の東京国立博物館で報道陣に公開された。C山本勉先生D清泉女子大教授E像の底部にある台座に取り付ける金具は運慶の作品以外にはみられない。ほぼ間違いない
□首都圏★現存最大の墓誌出土…徳川将軍家、大奥の華麗な副葬品も@読売新聞A08年06月10日B徳川将軍家の菩提寺、東京・上野の寛永寺にある将軍家墓所から、現存最大の墓誌や豪華の副葬品が出土したと、発掘調査を行っている近世墓所調査団が9日、発表した。C坂詰秀一先生D立正大名誉教授E大奥のタイムカプセルが開いた
□関西★黄金の仏像の手出土 明日香村の檜隈寺跡@京都新聞A08年06月11日B古代の渡来系有力氏族、東漢氏の氏寺とされる奈良県明日香村の檜隈寺跡で、7世紀後半ー8世紀に作られたとみられる金銅製の仏像の右手が見つかり、村教育委員会が10日発表した。C村教委DE創建時からあった仏像が、寺の退廃とともに捨てられたのではないか
□山陰★鳥取城跡三の丸御殿跡で遺構を確認@山陰中央新報A08年06月12日B鳥取市教委は、鳥取西高校(同市東町二丁目)のある史跡鳥取城址・三の丸御殿跡で、1860(万延元)年の御殿拡張工事で埋められた池や溝跡を確認したと発表した。三の丸御殿跡で、古地図の記されている遺構が実際に確認されたのは初めて。C市教委DE他にも遺構が残っている可能性がある
□山陰★隠岐・西ノ島で和同開珎の銀銭出土@山陰中央新報A08年06月17日B奈良時代に流通し、日本最古の貨幣とされる銀製の和同開珎(わどうかいちん)1枚が、島根県西ノ島町別府の黒木山横穴墓群で出土したと、町教委が16日発表した。離島では初めてで、海産物を献上した当時の隠岐と朝廷との深い結びつきを示す資料になりそう。C大橋泰夫先生D島根大法文学部教授(考古学)E貨幣というよりも魔よけ的な意味合いが強いのでは
□首都圏★伊能忠敬、元気な自信家おじさんだった?…新資料発見@読売新聞A08年06月20日B約200年前に、日本全国を実測して歩いた江戸時代後期の測量家・伊能忠敬(1745〜1818)が、地方のアマチュア天文家と本音で交わした会話を記録した資料が、鳥取市(旧青谷町)の石井洋さん(77)宅で見つかった。伊能忠敬は50歳を過ぎてから隠居し、天文学を学んだ晩年の人として知られるが、「30代のころから、天文学に関心を持って、測量の道を発明した」などと自信たっぷりに自己紹介している。C渡辺一郎先生D伊能忠敬研究会名誉代表Eちょっと大げさなところがある、やたら元気なおじさんだったのでは
□東海★壷型土器を発掘 鈴鹿・八重垣神社遺跡@伊勢新聞A08年06月20日B鈴鹿市国分町の同市考古博物館は19日、同市十宮町の八重垣神社遺跡第6次発掘調査結果について発表し、ほぼ完全な形に復元できた弥生時代前期の沈線文系壷型土器などが発掘されたと報告した。同型の土器がほぼ完全な形に復元できたのは、県内で初めてという。C新田剛先生D鈴鹿市考古博物館学芸員E当時の地域交流を示す上で、貴重な資料になる
□関西★平安時代の馬や牛、くっきりと…奈良・橿原の遺跡で板絵出土@読売新聞A08年06月25日B奈良県橿原市に一町西遺跡で、平安時代後期(11世紀後半〜12世紀初め)の溝跡から、牛や馬など動物5体を描いた板絵が出土し、県立橿原考古学研究所が24日、発表した。C水野正好先生D奈良大名誉教授(考古学)Eおはらいで、一緒に溝に流したのでは
□海外★バーミアン遺跡から玄奘三蔵が記述の「王城」土塀跡か@読売新聞A08年06月26日Bアフガニスタンの世界遺産・バーミヤン遺跡で、中国僧・玄奘三蔵(?〜664年)の見聞録「大唐西域記」に登場する「王城」に関連するとみられる8〜9世紀の土塀跡が、奈良文化財研究所などの調査で見つかった。C奈良文化財研究所DE西域の仏教文化に彩られた王城が、玄奘の時代から100年以上、存在した可能性を示す貴重な資料
□甲信越★黒曜石納めた縄文土器、岡谷の遺跡で出土@信濃毎日新聞A08年06月27日B岡谷市教育委員会は26日、同市川岸東の志平(しびら)遺跡の発掘調査で、まとまった数の黒曜石が縄文時代の土器に納められた状態で出土したと発表した。黒曜石の数は確認できるだけで12点。原石と加工跡がみられるものが交じっていることなどから、市教委は土器に黒曜石をため、加工して石器を作ったと推測している。C市教委担当者DE土に埋まる際に黒曜石が土に流れ込んだとは考えにくく、中にため、必要な時に取り出して石器を作ったのだろう
□山陰★石見地方最古の白鳳仏像発見@山陰中央新報A08年06月26日B島根県美郷町吾郷の定徳寺から、飛鳥時代後期(7世紀後半ー8世紀初頭)の仏像「銅造観音菩薩立像」が見つかったと、県古代文化センターが25日、発表した。同時代の仏像の発見は県内で5例目で、寺に伝わった伝来仏像としては石見地方で最も古い。C椋木賢治先生D古代出雲歴史博物館主任学芸員E特長が似ている奈良の法隆寺の観音菩薩立像を手本にした可能性もある
□関西★大宝律令祝う旗?藤原宮跡に支柱跡 続日本紀に記述@朝日新聞A08年06月29日B日本最初の都市計画に基づく都、奈良県橿原市の藤原宮跡(特別史跡、694〜710年)で、天皇が正月に臨んだ儀式で用いた旗「幢幡(どうばん)を立てたとみられる支柱跡が見つかった。奈良文化財研究所が27日、発表した。「続日本紀」では、日本最初の本格的法典「大宝律令」が完成した大宝元(701)年の正月の儀式で「幢幡を立てた」という記述がある。これに見合っており、律令国家成立時の重要場面を具体的に知る一級資料の可能性がある。 C木下正史先生D東京学芸大特任教授(考古学)E出土遺構と続日本紀の符号から、大宝元年の朝賀の儀の跡と見て間違いないだろう。本格的律令国家成立をうたい上げた世紀の祭典が目の前によみがえるような痛快な発見だ
□山陰★多岐で室町の製鉄炉と鍛冶炉出土@山陰中央新報A08年07月12日B出雲市文化財課は11日、同市多岐町奥田儀の屋敷谷たたら跡で、室町時代(15世紀)の製鉄炉1基と精錬鍛冶炉3基が見つかったと発表した。同たたら跡は、江戸初期から明治時代まで鉄製産業に従事した田儀桜井家のたたら製鉄遺跡に近く、同課は、「田儀桜井家より200年前に製鉄集団が存在したこと示す発見」とし、同地域で製鉄が発展した経緯を解明する資料として注目している」C花谷浩先生D出雲市文化企画部次長E製鉄集団の実態は分からないが、田儀桜井家は鉄の生産条件が整っていた情報を得て、進出してきたのではないか
□関西★和歌山の遺跡から巨大竪穴住居跡出土 西日本最大級か@朝日新聞A08年07月24日B和歌山県文化財センターは23日、同県かつらぎ町の「中飯降(なかいぶり)遺跡」で、縄文時代後期(約4千年前)の大規模な竪穴住居跡が1基見つかったと発表した。全体の面積は焼く150平方メートルと推定され、縄文時代の単独の竪穴住居跡としては西日本最大級という。周辺集落の集会所のような機能を持っていたとみられる。C矢野健一先生D立命館大学教授(日本考古学)E柱穴の規模が大きく、一般的な住居とは異なる。竪穴住居は西日本は丸形が多い。三内丸山遺跡などの東北地方の技術が伝わったのではなく、丸型の住居の様式が独自に大型化したのではないか
□首都圏★「大沢本」発見 源氏物語研究に一大画期@産経新聞A08年07月22日B古くは鎌倉時代までさかのぼる「源氏物語」全54帖がそろった新たな写本が確認され21日、国文学研究資料館(東京都立川市)の伊井春樹館長が大阪府立大の講演で明らかにした。C池田和臣先生D中央大学教授E源氏物語の研究は、これまでの概念にとらわれず、文献学に基づいて本文を読み込み、洗いざらい初めからやり直さねばならない時期に来ている
□関西★布製、紫色の天蓋かー法隆寺金堂・東の間@奈良新聞A08年07月30日B斑鳩町法隆寺の金堂「東の間」に、持統天皇が693年に下賜した紫色の天蓋がかけられていたとする新説を、鈴木嘉吉・元奈良文化財研究所長が発表した。鎌倉時代に作られた現在の天蓋は木製だが、紫色の天蓋は布製と考えられ、創建当初のイメージに見直しを迫ることになりそうだ。C鈴木嘉吉先生D元奈良文化財研究所長E薬師如来坐像光背に法隆寺建立の由来が記されており、その上に持統天皇の天蓋がかけられた。寺の縁起を朝廷が公認したということで、法隆寺にとって新たな出発点だった。
□東海★人物埴輪 近畿除き最古 名古屋・守山区の西大久手古墳出土@中日新聞A08年08月02日B名古屋市教育委員会は1日、5世紀頃に築造された西大久手古墳(名古屋市守山区上志段味)から、巫女(みこ)をイメージしたとみられる人物埴輪を発掘したと発表した。大和王権があった近畿地方以外では、最古の人物埴輪という。C広瀬和雄先生D国立歴史民俗博物館教授E大和王権で採用された人物埴輪を祭る古墳祭式がすぐに西大久手古墳で見られるのは、この古墳を築造した首長に対する中央の政治的評価が高かったことの証だろう
□関西★平安期の鉄鍋鋳型出土 草津の岡田追分遺跡@中日新聞A08年07月16日B草津市の岡田追分遺跡から、鉄鍋造りに使われた平安初期(9世紀前半)の鋳型が出土し、市教育委員会が15日発表した。この時代の鋳型は東北や関東、北陸地方で多く見つかっているが、近畿地方では珍しく、市教委は「鋳造技術の広がりを探る上で貴重」としている。C神崎勝先生D妙見山麓遺跡調査会監事E中央集中だった鋳造拠点が、平安期になり全国各地に作られた。それを裏付ける発見
□関西★篤姫直筆の短冊発見 徳川家に嫁ぐ決意詠む@京都新聞A08年08月04日B徳川13代将軍家定に嫁ぎ、将軍養母としても江戸幕府を支えた「天障院篤姫」(1835〜83)の、直筆とみられる和歌の短冊が大阪府内で発見された。黒船来航や安政の大地震といった内憂外患を誓う内容。C増田孝先生D愛知文教大副学長(書跡史学)教授E気性が表れた、しっかりした字。徳川家で生きる決意が表れている。
□関西★室町時代の酒屋?平安京跡、常滑焼が整列@北海道新聞A08年08月06日B京都市下京区の平安京跡から、規則正しく地中にかめを据え付けた室町時代前期(14世紀後半)の酒屋とみられる建物跡が見つかり、京都市埋蔵文化財研究所が6日、発表した。C網伸也先生D京都市埋蔵文化財研究所室長E酒屋は中世の京都を支えていた存在。敷地全体の構造が明らかになるのは珍しい
□関西★飛鳥時代の金堂跡か 兵庫・姫路の市之郷廃寺@河北新報A08年08月06日B兵庫県姫路市の「市之郷廃寺」で、飛鳥時代の大量の瓦破片や柱の土台となった礎石などが見つかり、県立考古博物館が6日発表した。寺院の屋根の上端を飾る鴟尾の破片も発見されており、同博物館は仏像を安置した金堂などの建物があったとみている。C岸本一宏先生D兵庫県立博物館主査E今後はほかに建物があるかや、伽藍配置などについて詳しく調べていきたい
□関西★未盗掘古墳から金銅製馬具 奈良 政権からの贈り物?@北海道新聞A08年08月07日B奈良県桜井市の風呂坊5号墳(6世紀前半〜中ごろ)で、未盗掘の石室から副葬品の金銅製馬具などが見つかり、市教委が7日発表した。金銅は銅に金メッキしたもので、表面の金メッキがわずかに残り、本来は金色に輝いていたらしい。渡来系氏族の墓に多く見られる銀製指輪やかんざしも出土。近くにあった工房で、金属加工の技術者を束ねた渡来系一族が葬られたとみられる・C市教委DE当時の政権と関わりがあり、特別な働きが認められて馬具を与えられたのではないか
□関西★梵字書いた土器皿出土 田辺城下町遺跡@紀伊民報A08年08月08日B田辺市の海蔵寺通り改良工事に伴う、田辺城下町遺跡の発掘調査で、江戸時代後期〜幕末のものとみられる梵字が書かれた土器皿が数多く出土した。調査をしている見文化財センターは「地鎮のために使われたと考えられ、当時の風俗を知る上で貴重な発見」としている。C川崎雅史先生D和歌山県文化財センター技師E生活に密着した日用雑器が多い。特に鍛冶に関係すると考えられる鉄滓が多く出土していることから、城の周辺に鍛冶屋を含む町屋が形成されていたことがうかがえる文献資料や絵図の内容を裏付ける貴重な調査結果だ
□山陽★津山・美作国府跡の「政庁」近くに巨大な井戸 中から檜扇見つかる@山陽新聞A08年08月08日B古代美作国の行政の中心・美作国府跡(津山市山北)の中枢施設「政庁」近くで、5日までに1辺約3メートルもある古代遺跡では岡山県最大級の大型井戸が出土した。奈良時代後期(8世紀後半)のものと見られ、中からは同県最古の木製檜扇も見つかり、国府にふさわしい規模や格式が研究者の注目を集めている。C氏平昭則先生D古代吉備文化財センター主任Eさすが国府の井戸と思わせる規模なのだがなぜ簡素な素掘りなのか分からない
□関西★箸墓古墳前方部に幅60mの外濠 奈良@北海道新聞 A08年08月28日B邪馬台国の女王卑弥呼の墓説がある奈良県桜井市の前方後円墳、箸墓(はしはか)古墳(3世紀半ば−後半、全長約280メートル)で、前方部正面に幅60ー70メートルと推定される外濠が見つかったことが27日、分かった。 外濠の幅は、同じ纏向(まきむく)遺跡にある箸墓以前に築造された古墳と比べると突出した規模。C桜井市教育委員会DE古墳は箸墓の時代から、急に周囲と隔絶され近寄りがたい存在になった。被葬者の力が他を圧倒していたことを示すのではないか
□甲信越★銅才と同時出土の中野市の柳沢遺跡から新たに銅鐸片3個@信濃毎日新聞A08年09月13日B県埋蔵文化センター(長野市)は12日、昨年に東日本で初めて弥生時代中期の祭器「銅才(どうか)」と「銅鐸」が一緒に出土した中野市の柳沢遺跡で、新たに銅鐸の破片13点が見つかったと発表した。C難波洋三先生D奈良文化財研究所考古第一研究室長Eこの地域は長い間にわたって、近畿地方と濃密なつながりがあったとみられる
□九州★王族の顔隠す道具か 魏志倭人伝「伊都国」?跡から出土@朝日新聞A08年09月15日B福岡市西区の元岡遺跡群で、約2000年前の弥生時代中期末(紀元前後)に作られた色鮮やかな翳(さしば)形の木製品が出土したことが13日、わかった。遺跡群は福岡市教委が発掘調査を続けてきた。中国の史書「魏志倭人伝」にある「伊都国」の一角とされ、王族らの権力や暮らしぶりを語る重要な資料となる。C春成秀爾先生D国立歴史民族博物館名誉教授(考古学)E弥生の王族や貴族の実態の片鱗が見えるようだ。伊都国の王族のイメージを考古資料に即して考えられる貴重な資料となる。
□九州★西都原古墳群の姫塚古墳 木棺跡など新たに出土@西日本新聞A08年09月17日B1912年に古墳としては日本で初めて本格的な学術調査が行われた国特別史跡の西都原古墳群(西都市)の姫塚古墳で、96年振りに行われた再調査の結果、新たに木棺の痕跡や鉄製矢じりが出土したことが明らかになった。C吉本正典先生D県立西都原考古博物館主査E当時発掘された鉄刀などの出土品は行方不明で、今回の調査結果は貴重。レーダー調査の結果、横穴式石室がある可能性も判明した。
□関西★土器片に「女」「男」表す万葉仮名 滋賀、紫香楽宮跡@朝日新聞A08年09月24日B奈良時代に聖武天皇が造営した紫香楽(しがらきのみや)跡とされる滋賀県甲賀市信楽町の宮町遺跡(8世紀中ごろ)から、和歌でよく使われる万葉仮名が書かれた土器片が見つかった。市教委が22日発表した。同遺跡からは万葉集の歌が書かれた木簡も初めて出土している。当時の貴族が日常的に和歌を楽しんでいたことを示す資料で、市教委は「仏教色の強い都とされてきた紫香楽宮の性格を再検討する重要な発見」としている。C栄原永遠男先生D大阪市立大学大学院教授(日本古代史)E皿は歌を詠む機会に用いられたものだろう。聖武天皇が造営工事したとされる大仏とのかかわりから、紫香楽宮は仏教的な性格が強いと考えられてきたが、貴族文化も芽生えていたことが裏付けられた
□関西★「三間社流造」で最古、滋賀で9〜10世紀の神社遺構出土@読売新聞A08年10月02日B滋賀県東近江市の金貝遺跡で、9〜10世紀の神社本殿とみられる掘っ立て柱建物跡が出土したと、県文化財保護協会が1日、発表した。正面に長いひさしがある、神社建築の基本様式ともされる「三間社流造」では最古の遺構で、神社建築の起源を考える上で貴重だ。C三浦正幸先生D広島大文学研究科教授(日本建築士)Eこの様式は、文献でも鎌倉時代までしかさかのぼれなかった。国宝になっている神社の祖先のような存在で、神社建築史を考え直す必要がある。
□北海道★森・鷲ノ木遺跡付近 同時代の竪穴住居跡「環状列石」構築者の家? @北海道新聞A08年10月11日B渡島管内森町教委は16日、9月に文化庁の世界文化遺産暫定リスト入りした「北海道・北東北の縄文遺跡群」を構成する同町鷲ノ木遺跡の近くで、同遺跡の環状列石と同時代の竪穴住居跡が始めて発見されたことを明らかにした。C高橋毅先生D森町教育委員会学芸員E当時の人々の生活実態を推し量る上で重要な資料。未発見の住居跡がまだ周辺にある可能性もある。
□関西★阿佐奈伎尓(朝なぎに)…万葉歌刻んだ最古の木簡が出土@読売新聞A08年10月18日B奈良県明日香村の石神遺跡で出土した7世紀後半の木簡に、万葉集に収められた和歌が、万葉仮名で刻まれていたことが森岡隆・筑波大准教授(日本書道史)の研究でわかった。万葉集を記した木簡は、万葉集編纂とほぼ同時期とされる滋賀県甲賀市の紫香楽宮(742〜745年)跡から出土したものがあるが、それを60〜70年さかのぼる最古の例となる。飛鳥時代に万葉集が詠まれていたことを示す貴重な物証。万葉集の成立を考えるうえで、画期的な発見となる。C犬飼隆先生D愛知県立大教授(国語学)E饗宴で詠まれた歌を参加者が書きとどめたか、歌を詠みあげる際の下書きだったのだろう。7世紀から歌が1字1音で書かれていたことを実物で証明した。
□関西★8世紀後半の万葉歌木簡 編纂後に書写か@産経新聞A08年10月23日B京都府木津川市の馬場南遺跡で、万葉集に収められた和歌を記した奈良時代の木簡(8世紀後半)が見つかり、京都府埋蔵文化財調査研究所が22日発表した。8世紀半ば以降とされる万葉集の編纂後に書かれた可能性がある。C栄原永遠男先生D大阪市立大教授(日本古代史)E万葉集を写したとも考えられ、歌集がどのように広まったのか解明する糸口になるかも知れない
□関西★新薬師寺の巨大な金堂跡出土奈良時代で最大級@朝日新聞A08年10月24日B8世紀中ごろの奈良時代に建立された新薬師寺(奈良市)の金堂跡とみられる巨大な建物跡が、近くの奈良教育大構内で見つかった。同教育大が23日発表した。推定の大きさは東西54メートル、南北24メートルで、現存する東大寺大仏殿に匹敵する規模。これまで平城京の主要寺院で唯一不明だった新薬師寺の全体像を探る貴重な発見で、仏教を中心にした天平文化をうかがう手がかりにもなる。C金原正明先生D奈良教育大准教授(環境考古学)E権力者藤原氏の出身で権勢を誇った光明皇后の政治力の大きさを具体的に知る、新たな手がかりになる
□関西★秀吉愛用?金のキセルに高麗青磁 初代伏見城から出土@朝日新聞A08年10月29日B京都市伏見区東奉行町の財務省宿舎建設現場で、豊臣秀吉が建てた最初の伏見城の堀の遺構が見つかった。調査を委託された西近畿文化財調査研究所(兵庫県加東市)が27日発表した。堀の底から金箔を張ったきせる、高麗青磁の茶托の破片も出土した。C千田嘉博先生D奈良大准教授(中世考古学)E当時の天下人の居城のうち、初代伏見城だけ実態が判明していなかった。中世から江戸時代の城の構造の変遷を知る手がかりになる
□関西★源氏物語の最古級写本、勝海舟の蔵書印も・・・甲南女子大@読売新聞A08年10月30日B甲南女子大(神戸市東灘区)は29日、同大学所蔵の「源氏物語(梅枝の巻)」の写本が鎌倉時代中期のもので、現存する同巻写本の最古級の一つとみられると発表した。C田中登先生D関西大文学部教授(古筆学)E鎌倉中期までさかのぼる源氏物語の写本はほとんど残っていない。研究に一石を投じるものではないか
□九州★弥生の琴にシカなど4種の絵、祭祀の情景語る 福岡@朝日新聞A08年10月30日Bシカ、太陽、建物、トリが一緒に描かれている弥生時代中期末(約2000年前)の木製の琴が福岡市西区の元岡・桑原遺跡群で出土した。4種類の絵がそろっている木製品が見つかったのは全国で始めて。弥生時代の農耕祭祀の情景を物語る貴重な資料となりそうだ。C金関恕(かなせき・ひろし)先生D大阪府立弥生文化博物館館長(考古学)E画題はすべて稲作の祭りに関係し、その状況がよくわかる。山陰などにも数例あり、共通の精神文化が根付いていたことが確認できる□関西★「三間社流造」で最古、滋賀で9〜10世紀の神社遺構出土@読売新聞A08年10月02日B滋賀県東近江市の金貝遺跡で、9〜10世紀の神社本殿とみられる掘っ立て柱建物跡が出土したと、県文化財保護協会が1日、発表した。正面に長いひさしがある、神社建築の基本様式ともされる「三間社流造」では最古の遺構で、神社建築の起源を考える上で貴重だ。C三浦正幸先生D広島大文学研究科教授(日本建築士)Eこの様式は、文献でも鎌倉時代までしかさかのぼれなかった。国宝になっている神社の祖先のような存在で、神社建築史を考え直す必要がある。
□北海道★森・鷲ノ木遺跡付近 同時代の竪穴住居跡「環状列石」構築者の家? @北海道新聞A08年10月11日B渡島管内森町教委は16日、9月に文化庁の世界文化遺産暫定リスト入りした「北海道・北東北の縄文遺跡群」を構成する同町鷲ノ木遺跡の近くで、同遺跡の環状列石と同時代の竪穴住居跡が始めて発見されたことを明らかにした。C高橋毅先生D森町教育委員会学芸員E当時の人々の生活実態を推し量る上で重要な資料。未発見の住居跡がまだ周辺にある可能性もある。
□関西★阿佐奈伎尓(朝なぎに)…万葉歌刻んだ最古の木簡が出土@読売新聞A08年10月18日B奈良県明日香村の石神遺跡で出土した7世紀後半の木簡に、万葉集に収められた和歌が、万葉仮名で刻まれていたことが森岡隆・筑波大准教授(日本書道史)の研究でわかった。万葉集を記した木簡は、万葉集編纂とほぼ同時期とされる滋賀県甲賀市の紫香楽宮(742〜745年)跡から出土したものがあるが、それを60〜70年さかのぼる最古の例となる。飛鳥時代に万葉集が詠まれていたことを示す貴重な物証。万葉集の成立を考えるうえで、画期的な発見となる。C犬飼隆先生D愛知県立大教授(国語学)E饗宴で詠まれた歌を参加者が書きとどめたか、歌を詠みあげる際の下書きだったのだろう。7世紀から歌が1字1音で書かれていたことを実物で証明した。□関西★8世紀後半の万葉歌木簡 編纂後に書写か@産経新聞A08年10月23日B京都府木津川市の馬場南遺跡で、万葉集に収められた和歌を記した奈良時代の木簡(8世紀後半)が見つかり、京都府埋蔵文化財調査研究所が22日発表した。8世紀半ば以降とされる万葉集の編纂後に書かれた可能性がある。C栄原永遠男先生D大阪市立大教授(日本古代史)E万葉集を写したとも考えられ、歌集がどのように広まったのか解明する糸口になるかも知れない
□関西★新薬師寺の巨大な金堂跡出土奈良時代で最大級@朝日新聞A08年10月24日B8世紀中ごろの奈良時代に建立された新薬師寺(奈良市)の金堂跡とみられる巨大な建物跡が、近くの奈良教育大構内で見つかった。同教育大が23日発表した。推定の大きさは東西54メートル、南北24メートルで、現存する東大寺大仏殿に匹敵する規模。これまで平城京の主要寺院で唯一不明だった新薬師寺の全体像を探る貴重な発見で、仏教を中心にした天平文化をうかがう手がかりにもなる。C金原正明先生D奈良教育大准教授(環境考古学)E権力者藤原氏の出身で権勢を誇った光明皇后の政治力の大きさを具体的に知る、新たな手がかりになる
□関西★秀吉愛用?金のキセルに高麗青磁 初代伏見城から出土@朝日新聞A08年10月29日B京都市伏見区東奉行町の財務省宿舎建設現場で、豊臣秀吉が建てた最初の伏見城の堀の遺構が見つかった。調査を委託された西近畿文化財調査研究所(兵庫県加東市)が27日発表した。堀の底から金箔を張ったきせる、高麗青磁の茶托の破片も出土した。C千田嘉博先生D奈良大准教授(中世考古学)E当時の天下人の居城のうち、初代伏見城だけ実態が判明していなかった。中世から江戸時代の城の構造の変遷を知る手がかりになる
□関西★源氏物語の最古級写本、勝海舟の蔵書印も……甲南女子大@読売新聞A08年10月30日B甲南女子大(神戸市東灘区)は29日、同大学所蔵の「源氏物語(梅枝の巻)」の写本が鎌倉時代中期のもので、現存する同巻写本の最古級の一つとみられると発表した。C田中登先生D関西大文学部教授(古筆学)E鎌倉中期までさかのぼる源氏物語の写本はほとんど残っていない。研究に一石を投じるものではないか
□九州★弥生の琴にシカなど4種の絵、祭祀の情景語る 福岡@朝日新聞A08年10月30日Bシカ、太陽、建物、トリが一緒に描かれている弥生時代中期末(約2000年前)の木製の琴が福岡市西区の元岡・桑原遺跡群で出土した。4種類の絵がそろっている木製品が見つかったのは全国で始めて。弥生時代の農耕祭祀の情景を物語る貴重な資料となりそうだ。C金関恕(かなせき・ひろし)先生D大阪府立弥生文化博物館館長(考古学)E画題はすべて稲作の祭りに関係し、その状況がよくわかる。山陰などにも数例あり、共通の精神文化が根付いていたことが確認できる